小さくまとまってんじゃねえよ、俺へ

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今日は珍しくたっぷりと考える時間が手に入った日。
あまりにたっぷりすぎたので独りで海や空を眺めたりしながら、頭の中身を整理したり、ボーっと無心になってみたり、
そしてまたじっくりと考えてみたりの繰り返し。それは仕事のことであったり、自分自身のことであったり、
または身の回りの人や事のことだったりと、いろんなものを対象に。

 

今の自分の状態だとか ここしばらくの状況を分析して、自分の中において、
ある大きな言葉がいつのまにか欠落していたことに気がついた

「人生で与えられている時間は有限、残りわずかであると常に意識せよ。」

 これはいつも常に頭の片隅に置いてあったはずなのに、いつのまにかこの意識が薄れていると今日が気付いた。
いつから意識が薄くなっていたかなんて具体的な時はわからない、だけど、
そのためか最近の自分には緩さであるとか甘いジャッジをしてしまう部分が多いと感じていた。今日、
そんな自分のことをいろんな角度から考えているうちに急激に自分に対して腹立たしさが沸き起こってきた、「おまえ、小さくまとまってんじゃねえよ!」と。 あくまで自分の内面で起きていることなので、
まわりにいた人には「いつものやのしん」で振る舞っているのでおそらくは気付かれていないのだろうけど。

 僕はこれまでの人生において二度ほど、既に死んで今ではこの世にいなかったかもしれないぐらいの出来事を経験している。
そのおかげか、「自分もいつかは必ず死ぬ人間なんだ」「それは突然やってくるかもしれない」
ということは普通の人よりもリアルに理解して生きている。自分がいつか死ぬ、と本気で考えると自ずと論点は「それじゃ、
死ぬまでに成し遂げておきたい事は? 死んだあとに何を残したい?」となる訳で、
私事や仕事において自分が追い求める理想像を実現するために不断の努力と決断を繰り返していかないといけないという結論になる。

 しかも、「残りわずか、一秒後かもしれないし、明日かもしれない、来年かもしれない」
と予想とはいえ期限を意識するようになると、はっきりいって時間が足りないことを実感する。そんな時に、
自分の中に緩さだとか甘い部分があってはダメなんだよ。

 今回ふいに自分の体調に関する将来の不安がよぎることがあったおかげで「自分に与えられた時間のタイムリミット」をまた意識することができたのだけど、
目が覚めた以上はまた以前の自分に戻し、まわりの物事なんか放っておくぐらいの「ギラギラ」
した目の矢野慎一郎に戻らなければ。

 本来は自分のあまりに内面すぎる内容なので公表はしないのですが、宣言もかねて公表。これで逃げ場は無くなった。

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