おっと、突然のテーマですが。
後輩がmixiで、真面目な質問として「プロって何?」的なことを書いていたので、自分が思うなりを書いてみた。 若い頃から現在までに、いろんな人とお仕事させていただいて学んだことや、失敗してご迷惑をおかけした経験や、人と議論を交わして自分なりに構築してきた考え。
普段思っていても、文章にすることはなかったので頭ん中を整理できた記念にブログにメモしておきます。
*あくまで自分の途上の意見です。(2010年10月13日現在)
後輩が書いてた質問はこんなの↓
プロフェッショナルとは?
本当のプロって一体なんなんでしょ?
どぅいぅ人なんでしょ?
どぅいぅ心なんでしょ?
どぅ思います?
まあ、そこで答えた自分の意見としては、
つまり、プロの本質は相手の期待に必ず応えること。アマ(非プロ)の場合は必ずしもそこは必達ではなくて、試合に負けたとしても「しょうがない、よくがんばったね」で済ませてもらえる、そんなイメージ。
ちょっと補足するものとして次も、
技術の優劣ではない。 その人が提供できる努力(*)によるアウトプットがすなわち、プロとしての報酬価値・価格。
*「努力」って言っちゃってるけど正しくは「能力」と言いたかった
で、更に後輩からの疑問として、
…質問ですが、努力に対して結果はどれくらい求められる…というか、
どのくらい結果を出さなきゃダメなんでしょか?100%に越したことはないだろうし、もちろんそれを目指した最大限の努力だとは思いますが
これに対して自分が答えたのは以下のような意見。
仕事という状況で例えるなら、相手との交渉や相談の時点で相手の要望と温度は探ることができるから、「どのくらいの結果が求められるのか」ってことは、自分で悩まなくてもいいのでは?
交渉や相談で双方が合致したモノが自分に求められる「相手の期待」の全てであり、ある時はそれは契約書に記載されたりするし、また社内やチーム内のことであれば「出来ます」とコミットメントしたこと、かと。それを「必ずできると保証し遂行する」のがプロフェッショナルという認識。
もちろん、相手の要望が自分の手に負えない場合があるので、自分が出来るかどうかの精度の高い判断は重要。
出来ないのに「期待」させるわけにはいかないので、出来ないことは「出来ない」と正確に言うこともプロとしての大事な能力。
無駄な見栄やプライドがある人には難しいらしい。
だけどよく考えてみると、出来ないことはきちんと辞退することでむしろ「あの人が出来ると約束したことは必ず出来る人だから、安心して相談できる」と自分への評価としてはプラス要素に働くと考えています。
「出来ない」とちゃんと宣言することで、結果、そこで断られることが将来的に自分が相手に迷惑をかけない最善だったりするし、あるいは相手が「じゃあ、出来るところだけでもお願いします」と、「相手の期待」=報酬を下げて調整することでお互いが合致できるかもしれない。
「がんばる」とか「本気」とか「100%」とかベストエフォート的な言葉って、非常に曖昧で、非正確で、その割には相手側にはあまり伝わらなくて、考え始めると際限が無いものなので嫌い。自分に求める結果の線引きが曖昧になり、失敗したときの後付けの言い訳にもなるので、自分としては単なる自己満足だけでしか使わないことにしてます。
あ、でも”ここまで出来ますよ!”と「相手の期待」を多少低めにセットしておいて、実は余裕を幾分か秘密に隠しておいて、結果的にアウトプットではそれ以上 のことも出来た、なんて演出も。
人の満足感は相対的と考えており、期待以上の結果を提供するという意味もあるし、相手を喜ばすという意味もあり。
そんな感じ。