今日、8月6日は広島人にとって感慨深くなる日。いつもはチャランポランな自分でも、平和について多少なりとも真剣に考える一日。
いろいろ考えてると眠れなくてこんな明け方(5時)まで起き続けてしまった。
あまりマジメに日記に書いてしまうのもどうかと思ったのだけど、平和について今も思い出に残っている、おそらく広島人にしか知られていないんじゃないかと思う話をひとつ書いてみる。
平和公園にある原爆記念碑(原爆死没者慰霊碑)には次のような一文が刻まれています。
『安らかに眠って下さい 過ちは繰返しませぬから』
小学生の頃、平和学習の授業か何かで初めて目にした文章だったと思う。子供ながらに「なんか変な文章だな」という感覚を持ってたのだが、しばらくしてその原因が、後半の『過ちは繰返しませぬから』の一文だとわかった。
『過ち』は戦争とか、原爆を投下して大量の人間を無差別に殺傷したことを指すことは容易にイメージできるが、なぜ『繰返しませぬから』なのか。
おかしいだろ。『過ち』をおこしたのはアメリカであって、我々は原爆を落とされた側。それなのになぜ『繰返しませぬから』なのか。 本来は『二度と繰り返させない』という表現が正しいんじゃないか、と。
この文章の主語は誰なのか。 これは碑文論争と呼ばれ慰霊碑の建立時に議論が起きたらしいのだけど、この言葉の主語は「わたしたち(日本、または広島の人間)」ではなく、「世界人類全体」という大きな言葉だった。
これを知ったとき、広島ってすごい町だと思うようになった。
本来ならば憎いはずである。一瞬にして約10万人近くの人間が殺傷され、その後もじわじわと合計40万人にも及ぶ戦争の爪痕を残していったアメリカを恨んでも恨みきれない気持ちがあるはずに違いない。
けれど、「悲劇の引き金を引いたのはアメリカかも知れないが、その原因は人類全体が持つ問題」と本質を理解し、誰かの責任を追及するのではなく、また自分達が被害者の立場を主張するのではなく、「自分たちも人類として加害者の一員である」という認識のもとで二度と核戦争を『繰り返しませぬから』と誓っている言葉にものすごい強さを感じた。
近年、平和に対する思い入れが世界的にみても薄くなってきているような気がする。広島・長崎の原爆記念日を「そんな古い話をいつまでも」と言う人もいるだろう。だけど、別に8月6日・9日が平和を考える特別な日なんかじゃなくて毎日常に平和を追求するための意識は必要。
だけどせめて、普段あまり考えることの無い人でも、この日の1分間くらいは「平和」を願おうよ、といいたい。だってさ、単純なことなんだよ。家族を亡くしたくないでしょ?友達を亡くしたくないでしょ?
8:15は黙祷をしましょう。