早い。
昨日(2/24)の20時頃に注文した本が、今日(2/25)の18:30頃に届いた。
別に、「お急ぎ便」オプション(有料)を指定したわけでもないのに、このお届けクオリティ、すごすぎ。
配送センターがある市川市からの配達なので、ほぼお隣のこのエリアはこんなに早いのかな。
最近、Amazonポイントサービスが始まったので、これからは実店舗を持つ書店は単なる「実物を手にとって見る場所」になってしまうかも?
早い。
昨日(2/24)の20時頃に注文した本が、今日(2/25)の18:30頃に届いた。
別に、「お急ぎ便」オプション(有料)を指定したわけでもないのに、このお届けクオリティ、すごすぎ。
配送センターがある市川市からの配達なので、ほぼお隣のこのエリアはこんなに早いのかな。
最近、Amazonポイントサービスが始まったので、これからは実店舗を持つ書店は単なる「実物を手にとって見る場所」になってしまうかも?
沸いてきました。
近頃、業務で使用するオープンソース系のコンポーネントやライブラリを一新しようと、より効率的なものを探しており、 Seasarも候補の一つでした。
まずはS2Dao(と、S2Dao.PHP5)を使い始めており、「なかなかすごいぞ」と思い始めていたところ、こんな記事が、
ITPro「「HTML画面をそのまま仕様書に」,5カ月で1000画面を構築した就職サイトPuffの高速開発手法 」
「例えばStrutsの場合,データ入力画面と出力画面の間にサーバー上のプログラム(Action)が挟まれる。 業務仕様を画面単位で,プログラム設計をAction単位で行っていると両者の間にズレが生じる」(出羽氏)。 画面とプログラムが1対1対応するようになっていれば,業務仕様とプログラム設計のズレは発生しない。 HTML名と画面遷移図からクラス設計は機械的に決まるというメリットもある。
Puffの新システムでは,オープンソースのJ2EE(Java2 Enterprise Edition) フレームワークであるSeasar2と,そのJSF(JavaSever Faces)実装であるS2JSFを採用した。それにより, 画面とプログラムの1対1対応が可能になった。
データベースへアクセスするためのプログラム生成するためのツールとして,Seasar2の関連オープンソース・ ソフトウエアであるS2Daoを使用したことも生産性向上に寄与したという。 データベースもオープンソースのPostgreSQLである。 「Sesasr2でなければこのような大規模システムを短期間で構築することはできなかったかもしれない」と出羽氏は言う。
5ヶ月で1,000画面分のアプリケーションってすげーな。しかも開発者は10人、らしい。
単純に割り算するのもどうかと思うが、一月で200画面分、10人で分担しても1人20画面分。テストなどの工数も考慮すると、実際はもっと大量の画面数だったことになる。それをオンスケでこなしたのだからすごい。
と、読んでいて思い出したが記事に登場しているパフさん、ティーアンドエフカンパニーさんって、昔俺がラソナにいたころに取引してた方達じゃんか!なつかしい。
先週2/17から始まった、NHKの土曜ドラマ「ハゲタカ」、なかなか面白いです。
http://www.nhk.or.jp/hagetaka/
以下、番組概要より引用
その男、悪魔か救世主か
バブル崩壊後、「失われた10年」と呼ばれる長いトンネルの闇に包まれていた日本に、 風穴を開けにやってきた男がいた。日本経済界で、外資系ファンドマネージャーとして暴れ回る男の名は、“ハゲタカ” こと鷲津政彦。
一方、襲い来る“ハゲタカ”に敢然と立ち向かう男がいた。旧態依然とした日本の体制にもがきつつ、 懸命に日本企業を支え続けようとするエリート・バンカー、芝野健夫。
かつて同じ銀行の先輩・後輩でありながら、対照的な道を歩んだ二人の男。「日本買収」 ビジネスを巡る二人の男の野望と挫折を軸に、日本の会社にとって必要なのは何かを問いかける。
話の内容は多少、専門的な事が多いため難しいところがありますが、 これまで約10年間の日本経済で実際に起きた事を疑似体験できるという意味ですごく勉強になります。
著者は「バイアウト」なども執筆された真山仁さんなんですね。
花粉症、か??
近日の予定で自分のプロフィールを提出する必要があるため、ヤフー入社時以来、久々に職務経歴書とスキルマップの更新をしてみた。
気付いたこと、
「俺ってネット大好きっ子だなあ」:-)
別にネットに限らずできる子のはずなんですけどね。実務として書けるものとしてはほとんどがインターネット関連。
18才の頃に出会ってネットに惚れてから、これからもこの先もこの子には関わるんだろうなあ。
—以下、上記に至るまでの思考の流れを再現。
過去に携わったPJや担当を時系列に見てみると、思っていたよりもちゃんと流れと幅があるなあ。
(本人が意識していたかどうかは別として)
実務として始めたのは学生時代で、当時はプログラマー職がメインでした。よく考えれば、
半人前のガキンチョ大学生によくもまあ仕事をくれてたものだ。
大学院を辞めて仕事一本になってから、システム設計や外部との渉外といったSE的な業務経験や、
アプリ以外にもインフラやセキュリティ等の多分野の技術を”必要に駆られて”身に付けていき、
気付けば開発部のマネージャみたいな事になってたっけ。
開発業務も引き続きしていたものの、それに加えて提案企画をウンウン唸って考えたり、
会社がISMSの認証取るから立場的に膨大な資料をウンウン唸って作ったり、「儲けを出せ」と上の方からキューキュー言われたりして、
今思えばタフだったなあ。過労で死にかけたけど…
かと思えば突然のジョブチェンジ。「技術職が俺の目標じゃない!」という一念と、「大企業も経験してみなければ」
という思いがきっかけで、突然ヤフーの企画職に転職。ここでもバタバタと日々を過ごしていたものの、自分の中での「余剰在庫」
を感じたことと、どうしてもライフワークにしたい事業ドメインを見つけてしまい、悩んだあげく退職&独立。
未練は無いけれど、今でもあれは「残留、独立、どちらを選んでもおかしくない」岐路だったなあ。
んでもって現在、となるのだけど、今はおそらく人生で一番「カオス」な状態、良い意味で。
いろんな人との出会いがあり、仕事の幅もこれまで以上に拡がっており、たまに俺って職業なんだっけ? と思うようなこともあるけれど、
カオスの中にも「軸は常にネット」なんだなと再認識したのが今日の収穫。(ようやく話が戻ったか…)
—
元々「人生の流れは全て必然なり、抗わず自然に受け入れ判断することが吉」と思っているためか、
独立起業した当初の思惑とは8割9割違う方向へ遷移中。 でもそれが思ったよりも当てずっぽうでは無いところがすごい、人生って不思議。
詳細は、つづくっ! (嘘
あ、なんか近々いろんなことを発表できそう、な感じです。