日記

RTC Vol.28:『ブログ限界論』に参加中。(終了後 追記あり)

ひさしぶりにRTCカンファレンスに参加中@秋葉原。テーマは『ブログ限界論』。
途中に書きたいことが出てきたら、リアルタイムに追記してみる、予定。
*さらに、カンファレンス終了後に書き足りなかったことを追加してみた。

<追記14:15>
・本日のスポンサーはトーキョーブックマークさん。(東京本2007 Vol.3という冊子をいただきました。)

<追記14:35>
・Q2:ここ最近のブログ社会のことをどんな風に見ていますか?
→一般人が増えた、キャズムを超えた(GIGAZINEさん) …同意
→来年、3年後にもブログを書き続きていると思いますか?(徳力さん) …書いていると思う。情報を発信したいという自分用広報的な理由もあるけれどその割合は非常に少なくて、それよりも単に自分の記録(精神状態、思考、経験)を残しておきたいという欲求が高まっている。

・Q3:ここ最近のブログの抱える課題を社会面、経済面、システム面いずれかの観点から
→スパムコメント、スパムトラックバックが多く、ブログを知ってくれた一般の人たちに「これがブログなんだ」と思われてしまっているのが残念。
→GIGAZINEのサーバは自前、いろいろ制約がありブログサービスに任せることができない。 →しかしdankogai氏曰く「livedoor blogなら大丈夫」
→GIGAZINEのサーバ、こっそり移せば?(小飼さん)→こっそりなんて、GIGAZINEの場合ムリ!(笑)

<追記15:05>
・Q5:最近の個人、企業の取り組みやサービスで「こういう動きがブログを面白くする」と感じられた事例は?
→そういや、11/3にあった広島ブログのオフ会イベントは面白い出来事だったなあ(それだけに参加できなかったのが残念)
・徳力さん、熱い!
・dankogai邸、映画BABELの撮影に使われる!(パねぇ

【終了後 追記】
・今回、ケーススタディは時間の関係上で少し押し気味に実施。
・お題は「あなたは影響力のあるアルファブロガーだとします。ブログや個人メディアを盛り上げるために、どのようなことを行いますか」 (かなり意訳)

・僕らのチームでのディスカッションでは、次の二点においておおよそが同意。お題の前提をひっくり返すことになるのだけど…
「影響力を持っちゃうと、書く内容に気を使っちゃって、自分自身にとってブログが楽しくなくなるかもしれないよね」
「ブログ界を盛り上げたい、なんていう意欲を持ってブログしてる人って、かなり少数派だと思う」

・んじゃ、近頃どんなことが盛り上がった?面白かった?ということを話してみたところ、
「大阪にいると全然知らんかったようなこと、例えば、まだ東京の深川あたりには江戸っ子が実在することを知った」とか、
「広島にまつわるブログを書いている人たちが、広島ブログのオフ会で70人弱も集まった。 しかも、書き手はいたって普通の人たち」
といった、ローカルでニッチなことに興味を持った人がいた。

・というか、いろいろとざっくばらんにディスカッションしすぎて、なかなかまとまった意見に落ち着かなかった…

【★ここからは終了後に自分自身のメモとして書いたもの。】
・広島ブログのオフ会については僕が発言したものなのだけど(オフ会には参加はできませんでしたが…)、実はこのムーブメントは凄いことだと感じている。

・具体的にその理由は何かと考えてみたが、北海道から沖縄までの距離を一気に縮めるはずのネットであるにもかかわらず、近頃は隣の人が経験したこと、同じ町・隣の町の情報といった、身近でローカルな話題の方がコンテンツとしては面白く感じていること。

・実際、広島ブログのオフ会には今日のRTCカンファレンスに大勢集まったいわゆる全国的な「アルファブロガー、カリスマブロガー」たちはいないかもしれないけれど、参加者同士がお互いのブログやエントリーの内容を知り合っている「フラットなつながり」を持って楽しんでいるということ。

・ブログ黎明期には実は、いまのアルファといわれる人たちも含めて同じく「フラットなつながり」だったのかもしれない。

・確実にブログを書いている人も増え、それを読む人たちも増えてきており、これまでのGeekな人たちだけのプラットフォームじゃなくなった。それ故に、コンテンツの傾向が以前までの「社会を斬る」「経済を解説する」「政治に対して意見を述べる」といったマクロで高尚な内容から、一気に庶民的な「隣の晩御飯」的な内容が増えてきており、実は一般人にとってはそういった身の丈にあったコンテンツの方が心地いいのではないかと思った。

・例えとして地域ローカルな事例を挙げたが、これは地理的な距離の近さだけのことではなく、精神的な距離(例:思考や価値観)、興味的な距離(例:趣味や仕事)なども同様だと思う。 世間に名を知られたカリスマの情報は一般的な共通情報としての興味があるが、それとは別のポジションとして、地域や趣味で似たような普通の人たちが発信する情報にも価値を見出してきてる時期だと思う。 ⇒これがキャズムを越えたということか?

・広島ブログの登録者の中でもいわゆる「カリスマ」的な人もいて(例えば、いつもランキング上位にいる常連など)、段々とそういう人達が小さなコミュニティ内での発言に影響力を持つのだろう。 そうすることで少人数でのニッチなコミュニティが形成されていき、それらコミュニティ同士での交流などが活発になることで更に、別の新しいコミュニティ(または社会現象)が現れてくるのではないかと、個人的には思っています。

・徳力さんと以前、個人的にメッセージを交わしたときに「そういう小さい動きがうまく連動して、ムーブメントに変わるといいなーとしみじみ思います。」と言っていたのを思い出した。ブログやコミュニティって元来そういうもんだったんだよなあ。

[終了、たぶん]

【いきなり撤回。以後、更に追記。同じくRTCカンファレンスに参加した人たちのエントリーを集めてみた】
徳力さん:ブログを書くということは、インターネットに脳をつないでしまうこと
POLAR BEAR BLOG:RTCカンファレンス『ブログ限界論』参加中
RTCカンファレンス Vol.23『ブログ限界論』を終えて(前編) ― 脱・ブログ時代は訪れるか?
大西 宏のマーケティング・エッセンス:ブログは本当につまらなくなったか?
[ f ]ふらっとどらいぶログ – fratdrive.net:ブログ進化の予感:RTCカンファレンス『ブログ限界論』
RTCカンファレンスVol.28『ブログ限界論』(アキバ)に行ってきました?
GIGAZINE:「ブログ限界論」で語られなかったこといろいろ
こえむの編集後記:RTC Vol.28『ブログ限界論』にて…結論は出なかった
TBN:RTCカンファレンス『ブログ限界論』に参加してみた
[beat] Bite’n Eat All the Thing. | RTCカンファレンスvol.28「ブログ限界論

*そういえばなんだか、わくラボのメンバーが同じ場所に固まっていたようなww 前日にも顔を合わせたばかりなので、なんだか少し変な気分。

そろそろやりたいことやろうかな

「パトラッシュ。僕、もう疲れたよ。」

なーんて、随分ヨワキになってしまってる僕ですが(*)、療養してる間に色々考える時間が手に入り、ちょっとだけ決めたことがあります。
(*)これまでずっとカラダに良くない働き方をしてきたせいかこの季節の変わり目に胃腸の調子を崩してしまい、ほんとヘトヘトになってしもうた…

「そろそろ、やりたいことをやろうよ、やのしん」

なんで俺は体調崩れるまで無理しちゃってたんだろう?って考えたところ、その答えが「人の期待に応えようとしすぎてた」ってことなんだろうな、って。 人の期待に応えようとすることは間違っていないんだよ、今年のおみくじも言ってただろう、「願事:他人を助けよ、人の助けにて叶います。」って。 人生には色々と波があって、たぶん今年はそういう年だったのさ。って、 去年の今頃も同じようなこと言ってら。

自分の人生に約10年周期で起きている「生きることを考えさせられるイベント」(*)にまた直面してしまい、死ぬまでに遣り残したことがあればなんだろうな?って。 出てきたひとつの結果が「おまえ、自分がやりたいと思ったことがあっても、自分の期待に応えていないじゃん」ということ。
(*)6歳時に交通事故、16歳時に自転車でのトレーニング中に事故、そして30歳時に内蔵の異変(まぁ、別段大した結果じゃなかったけど)

「日本人の資産運用文化の底上げがしたい!」 と思い、当時勤めていた会社を辞めてまで独立したにも関わらず、まだゴールもしていなければギブアップもしていないよな?って気が付いた。 当初、まずは「投資ちゃんねる」という投資家同士のSNSを立ち上げようと勢いだけでサービスインしたものの、やはり浅はかな考えだったことに気付き一度は断念したけれども、それがきっかけで気付いたことも多かったんだよね。 今思えば反省点としては、「資産運用」をサポートしたいのに当時流行の株式投資しかドメインとして考え付いていなかったことや、自分自身のファイナンシャルリテラシーの低さとか。

その後、いったん投資ちゃんねるは閉鎖して、自分自身の見識を広げようと方向を切り替えた結果、新しい人々との出会いがあったり、更にそのみなさんとの仕事を通じて投資運用の考え方を広げることができたり、影でこっそりとファイナンシャルプランナーの勉強をしていたり(今だからカミングアウトするけれど^^;)。 「失敗だ」と自覚したからこそ自分の欠点に気付くことができて、それを埋めようとしてきたこれまでの1年ちょっとという時間は結果として結構有益だったなと思えています。

自分の事業を手がける他に会社としては他社様の事業やビジネスのお手伝いをさせてもらって収入を得ているのですが、ほとんど営業活動をしていないにも関わらずみなさんの紹介などのおかげで新規開拓もでき、おかげさまで会社(そのまえは個人事業主)の収益もそこそこになってきております。このご縁はこれからも維持しつつ、そろそろ自分をお客様として支援してあげてもいいんじゃないかと思い始めた次第です。

運がよいのか悪いのか(国民にとっては良くは無いのですが)、僕が「日本人の資産運用文化の底上げがしたい!」 と思ったころから、あまり日本国民の資産運用に対するリテラシーって変化が無いと思っています。 年金記録問題が発生してからギャーギャー騒ぎ始めたり、加熱しすぎた相場に熱中しサブプライムローンショックで傷を負ってみたり。
まだ個人の金融資産がゆうちょ銀行にタンマリと残っていることも自分としては疑問が多かったり、「頭金0でマンションの大家になった」なんて良い話を聞いてよくリスクシミュレーションもせずに不動産投資に手を出したりといったことも個人的には疑問です。

世の中は玉石混合で、例えば経済に関する書籍は数多くあり 中には怪しいものもあれば、逆に本当に良いものも存在しています。 正しい主張を提唱して頑張っている人も多いのですが、そういったことを、(誤解を恐れず敢えて言います)ファイナンス側のプロの人間(敢えて「あちら」側と呼ぼう)がたとえどんな良質な情報を提供しても、我々一般の庶民(そう、「こちら」側)にはその多くを理解できないのです。

難しいことだから一部の人が儲かる、自分たちが儲けるために一般にはわざと解りにくいようにみせて失敗させる、なんていう悪人もプロの中には居るかもしれませんが、「難しいことを誰でもわかりやす伝えることがプロの仕事」と頑張っている正しい「あちら」側の人達も確実にいます。
でもね、残念ながらそれでも理解できるのはそれなりのリテラシーの高い庶民たちだけで(それを庶民は学歴のある、などと表現することが多い)、 多くの庶民は理解しにくいというのが現実だと思う。(*) 僕が本当にやりたかったこととは、その庶民レベルでの理解の底上げの部分だってことに気付いた。 意欲のある庶民を引っ張っていってもらうのは「あちら」側の人たちに任せて、僕は庶民レベルでの興味喚起や「ちょっと考えてみようよ」というきっかけ作りをしたいと思います。(ちょー難しいのは充分承知してるけど…)

(*)例えば、どんなにコンピュータシステムに詳しい人間がシステムの難しいことを噛み砕いて説明しても、ある程度リテラシーの高い庶民にしか理解できないように。

っていっても俺ができることは限られるので、自分の得意分野を絡めつつ地道に頑張っていこうと思ったこの10月でした。

<ちょっとネタバラシ>

「資産運用」っていうと敷居が高く感じるけど、そんな大それたことをやる前にまずは … なんて書いちゃってたのだけど、「ちょっと公開には問題があるんじゃない?」ということなので消しました。興味ある方いれば個人的にご連絡ください?

自分たちがこんな日本にしちゃったのよ

ちょーちょーちょーいい感じ保田さんのブログエントリーより、

 

誰がこんな日本にしちゃったの?
  という思いが私の中では非常に強い。そしてそんな日本をなんと抱えたいと思って日々活動してきたわけですが、   最近は虚無感に駆られることが多い。

 自分自身も同じく、今の日本という国に対してやや諦めに近い感覚を持っています。
まわりにも「別に日本という国にこだわらなくてもいいや」といった考え方の人が多いと感じるし、自分も最終的にはその方法もありかなと感じているひとりです。
おそらくですが、日本国内・国外ということのギャップが縮小し、また国民の中に能力的に高度な人が増えてきたことで、多種多様なモノの考え方が受け入れられる社会になったからだというのが、個人的な意見です。それについては社会の高度化ということなので否定はしないのですが。

 ただ、多種多様なモノの考え方、と書いたのですが、それは各自がそれぞれバラバラの思考を持っているだけで、国民に共通する軸が全く無いのだと思います。
 多種多様であっても、「国」という(または「世界」「地球」それぞれで)共通する軸があるべきなのだと思っており、「自分達が生まれ、育って生活してきたこの国の力を底上げする」という本質的な軸だけは、全国民が共通して持っておくべきじゃないかと。 極論を言えば、その他の部分は人それぞれであっても良いと思うんですけどね。
 軸のない多種多様性は結果として「自分さえ良ければいい」という結果を生みます、多種多様であっても「人を思いやる」という軸をみんなが共通で持てば、最近のような異常な事件や低俗な不正などは起き難いのではないでしょうか。

 しかし、「実質的に破綻している国の現状の責任」を追求したところで誰か特定の人達ってわけではないんですよね。結局、国民ひとりひとりのマインドが集まった結果、「国」という組織ができるのであって、「おまえが悪い」という犯人探しを始めたってそれは本質的ではないと思っています。自分自身を問いただしても、そんなに良く出来た人間だとは思えないし、人には言えないような悪いことも思いついてしまう人間だし(それを実行するかどうかは別として)、結局、自分みたいな「チョイ悪」 (?)な人間が集団を形成した結果が今の日本という組織なのだと思います。

今の日本の現状は我々の世代がそのように導いたわけではないけれど、自分を生んでくれた親やその更に親が作り上げていった結果の良い面・悪い面のうち後者(もちろん、良い面もあると思います)が目に余る惨状として今の我々にバトンタッチされているのだと考えると、次の二択、

 

諦めるのか、頑張るのか、二択でしかない。

の答えとしては、自分達の世代で「頑張る」のが正解だと思う。

 いろいろ理屈ばかり言っていても仕方がなくて、「んじゃあ、具体的に何をするのよ?」ってことだけが大切だと思うのですが、、、
大きなことを言えば色々とやるべき行動は言えるのですが、結局それは絵に描いた餅。

 今、自分達にとって必要なことは「お隣、二軒先の住人同士のことを知る、仲良くなること」だと思います。
なんじゃそりゃ、と思われるかもしれませんが、隣近所の人のことを思いやることができずに、国という全体を思いやることはできないのではないでしょうか。何もプライバシーに関わることまで深く知りなさい、ということではなくて、「隣近所の人たちが快適に暮らせるような行動をとる」、できることなら「仲良く」なってお互いで助け合える暮らし、それこそが社会なんじゃないかと思います。
 そのマインドが集まった結果が「国」という組織を形成するはず、そうなれば今のような破綻した国になる前にみんなで歯止めをかけることができるんじゃないかなと思います。

さぁ、今日もがんばって仕事して1192つくろう!

たまには病院行ってみる。

ただいま朝の9時前。

  先週後半、仕事詰めすぎたせいか風邪こじらせちゃいました。
 
  それが原因というか、誘発したというか、旅行中から胃がやけにムカムカしててそろそろ仕事に影響しそうな程になって嫌なので、
  早速今朝一番で病院へ。
 
  すぐに病院にいくなんて自分としてはとても珍しいのだけど、気になってる症状で調べてみると「胃がん」「胃潰瘍」
  なんて言葉が並んでて不気味なのです。
 
  なんて携帯で書いてたら診察し室に呼ばれました行ってきます。
  <追記>

この時期には多いですよ、といういつものありきたりなコメントをいただいた。でもこの先生、
なんとなく信頼できそうなので額面どおりに受け取る。

問診、触診の結果、とりあえずまだ深刻な状態ではないでしょうということで、胃炎を抑える薬をもらって様子見ということに。

元来、薬で治療することが大嫌いな性格なので、ちょっと負けた気分。でも、胃がムカムカ・
ゲップゲプし続けていたら生産性も下がっちゃうので言う事聞きますよ。

数日前からの症状や気になってたことをメモ帳に詳しく書きとめていて、 問診でつぶさに説明していたらお医者の口数が異様に少なかった。
だって、 "あーだこーだ"とやりとりで時間が消費されてくのが嫌なんすよ。

Amazonと仲直り

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