2010年 10月 の投稿一覧

2級ファイナンシャル・プランニング技能士(個人・中小事業主資産相談業務)に合格しました

ご報告。
今日(10月25日)、社団法人 金融財政事情研究会(きんざい)のWebサイトで発表があったので正式に公表できることになりましたが、国家資格である2級ファイナンシャル・プランニング(FP)技能士(個人・中小事業主資産相談業務)に合格しました。個人資産相談業務、中小事業主資産相談業務のダブルタイトルをゲット!

え、ファイナンシャル・プランニング技能士ってなに?」という方はこちら↓

ファイナンシャル・プランニング技能士:Wikipediaより引用

顧客の資産に応じた貯蓄・投資等のプランの立案・相談(ファイナンシャル・プランニング)に必要な技能に関する学科および実技試験に合格した者をいう。

はい、ぜんぜん自分の本職には関係ないんだけど、取得してみました。
なんて言うと「ふざけんな!(笑」とか言われそうなのですが、理由を説明すると、以前から自分は「お金」という存在についてとても興味を持っています。

「お金」って”生活に必要”であったり、”生活を豊かに”するものであったり、”働いて稼ぐ”という考え方もあれば”お金に働いて(殖えて)もらう”という考え方があったり、一番機会が多い”お金を使って何かを手に入れる・消費する”こともあったり、”国に納める”ことによって”間接的に自分が利益を得る”ことがあったり、はたまたお金の存在によって人が”幸せ”になったりもすれば”悩み”であったり”不幸”になることがあったり、などなど説明しきれないくらい。

今では多少は言葉にして説明できるけど、思えば子供の頃から薄々と「お金」に対する疑問を感じていて、「お金ってなんなんぞ?なんで、こんなに人の人生や生活に密着しているものなのに、学校で習うこともなければ、大人もみんな個々人で理解に差があるまま生きているんだろ?」と。

自立して自分で稼いだお金が手に入るようになり、その興味は(というか危機感に近い)もっと強くなって、自分なりの独学で「お金」についてあーだこーだと勉強していたのですが、FP技能士という資格があることを知り身近なお金にまつわることを広範囲に勉強できるので「ちょうどいい機会だから、ちゃんと体系化されたことを勉強して、知識を整理してみよう」と思い。それが資格とってみたきっかけ。

2級ファイナンシャル・プランニング技能士の試験は学科と実技の二種類にわかれていて、学科は共通的なこんな内容

・ライフプランニングと資金計画
・社会保険・公的年金
・リスク管理
・金融資産運用
・タックスプランニング
・不動産
・相続・事業承継

で、実技というと、”個人資産相談業務”の方は、

実技【個人資産相談業務】
1.関連業法との関係及び職業上の倫理を踏まえたファイナンシャル・プランニング
ファイナンシャル・プランニング業務に必要とされる倫理観と関連業法との関係を正しく理解したうえで相談に対する回答が行えること

2.個人顧客のニーズ及び問題点の把握
個人顧客の属性、保有金融資産、保有不動産等に関する具体的な設例に基づき、金融資産選択、不動産の有効活用、相続・贈与、ライフプランの策定、年金プランの策定、所得税・住民税等に関する相談における問題点及び顧客ニーズを把握できること

3.問題の解決策の検討・分析
問題解決に当たって、ファイナンシャル・プランニング業務に必要とされる知識に基づき、相談に対する適切な解決策の分析・検討ができること

4.顧客の立場に立った相談
顧客の立場に立ったうえで最も適切な問題の解決策を数値的な裏付けをもって提示できること

次に”中小事業主資産相談業務”の方は、

実技【中小事業主資産相談業務】
1.関連業法との関係及び職業上の倫理を踏まえたファイナンシャル・プランニング
ファイナンシャル・プランニング業務に必要とされる倫理観と関連業法との関係を正しく理解したうえで相談に対する回答が行えること

2.中小事業主のニーズ及び問題点の把握
中小事業主の属性及び事業体の経営状況、事業主及び事業体の保有する金融資産、不動産等に関する具体的な設例に基づき、資産運用、税務、事業承継、事業経営、M&A、組織再編等に関する相談における問題点と顧客ニーズを把握できること。また、事業主及び事業体のリスクに関する相談における問題点と顧客ニーズを把握できること

3.問題の解決策の検討・分析
問題解決に当たって、ファイナンシャル・プランニング業務に必要とされる知識に基づき、相談に対する適切な解決策の分析・検討ができること

4.顧客の立場に立った相談
顧客の立場に立ったうえで、最も適切な問題の解決策を数値的な裏付けをもって提示できること

これで一応、名刺には(書かないだろうけど)「2級ファイナンシャル・プランニング技能士(個人・中小事業主資産相談業務)」と書いて個人や中小事業主の相談業務をおこなっていいらしいです。

って、さらっと書いちゃいましたが、なんでダブルタイトルかというと…実は最初の3級も含めて、

  • 2010年1月試験:3級FP技能士(個人資産相談業務)
  • 2010年5月試験:2級FP技能士(個人資産相談業務)
  • 2010年9月試験:2級FP技能士(中小事業主資産相談業務)

と、今年に入って3回も試験を受けてました。
で、3級は2級の受験資格条件のひとつなのでいいとして、2級をなぜ二回も受けているという…
自分が中小企業を経営していることもあって、どうせ勉強するならば自分の会社でも応用できそうな”中小事業主資産相談業務”の方を本命にしよう!、と思っていたのに5月の試験日にはそれが無く(涙)。そういう理由もあって、じゃあせっかくだから受験者数も一番多い”個人資産相談業務”を5月にとってみよう、という経緯。

そんなこんなで、一応これで人や企業さんの資産相談をおおっぴらに受けてもいいらしい(?)ので、お待ち申し上げております。
(なんども言いますが、弊社の本業はまったく別モノのです…)

*この資格を名刺などに記載するときは、書き方が決まってるらしい…細かいなあ。

*あと余談ですが、うちの妻も3級ファイナンシャル・プランニング技能士(個人資産相談業務)を取得してます。ハイ、本業でもないのにそろってFP夫婦です。

「もしドラえもんの「ひみつ道具」が実現したら タケコプターで読み解く経済入門」を読んだ

ああああああ。せっかく読んでたのに、ブログにメモするの忘れてた…
というわけで、レオス・キャピタルワークス社の創業者であり、取締役CIO(最高運用責任者)である藤野英人さんが9月に書かれた著作「もしドラえもんの「ひみつ道具」が実現したら タケコプターで読み解く経済入門」(略して、もしドラ経済)を読んだのでそのメモ。

まずは、どんな内容の本かというと…

【内容紹介】【はじめに】から引用

もし、タケコプターがいまの日本に実現したら……。
生活が一変して、新しいビジネスや価値観が生まれるだろう。
いち早く対応するのはどの企業? 衰退する産業はある?
そう考えるだけで、なんだかわくわくしてきませんか?
自由に想像を膨らませれば、どこまでも発想が広がっていきます。
そうすることで、経済だけでなく、世の中全体のしくみが見えてくるのです。
(中略)
この本は、ドラえもんの「ひみつ道具」について詳細に解説する本ではありません。
もしドラえもんの「ひみつ道具」がいまの社会に実現したら、人々の生活や社会、文化、経済に
どんな影響が出てくるだろうということを、かなり真面目に述べています。

という、経済を難しく考えるのではなく誰もが知っている「ドラえもん」のひみつ道具を例として、実際に今の社会に実現したらはたしてどんなことが起きるの?という視点で書かれています。
また、物腰が柔らかい藤野さんらしい文章というか、優しい文章体で終始書かれていて、更にはその目線というのも専門家の説明ではなく僕ら一般市民が普段から目にしている風景でイメージできるように語られていて、さらっと読みやすい一冊です。

本書で取り上げられる「ひみつ道具」は以下。

・タケコプター
・ガールフレンドカタログメーカー
・フエール銀行
・アンキパン
・カラオケメイツ
・ほん訳コンニャク
・お医者さんカバン
・ガリバートンネル
・カッカホカホカ
・どこでもドア

それぞれの秘密道具が、もし実現できたら、「どんな良いこと」「どんな悪いこと」「どんな会社が利益あるいは損失を受ける?」などについていろんな予測にしたがって話が進んでいきます。

面白かったのは、「良いこと・悪いこと」の見方が幅が広く”えっ、こんなところにも影響が及ぶのか!?”といった気付きをもらいました。
また、各ひみつ道具の予測の中には、具体名をあげて影響を受けそうな現存企業がピックアップされている点も面白い。この点は、本の内容の理解を深めるためのポイントだったんじゃないかなあ。
中には、「こんな企業が進出してくると思います」といった話以外に、なんと「すでにこんな企業が取り組んでいる|実現している」といった例も挙げられていることもあり、読んでるうちにワクワクしてきちゃいます。

目次をぱっ、と見たところ、個人的な事前予測では「タケコプター」と「どこでもドア」は実現したときのインパクトはデカイだろうな、と思っていました。
なんでかっていうと、ドラえもんの中でも最頻出のひみつ道具だから。
藤子.F.不二雄先生もきっと、最初は「タケコプター」や「どこでもドア」がここまで重要な道具になるとは予想して無かったのかもしれない。連載を続けるうちに、仮想の世界とはいえこの道具が実際にもたらす社会インパクトに気付いて、その後マンガの中でも頻出したんじゃないかなあと思う。

★もし、(というかたぶん藤野さんは続編を考えてるんじゃないかと思うけど)、今回取り上げられなかったひみつ道具の中でぜひ読んでみたかった!と思うなら、迷わずに「もしもボックス」あるいは「ソノウソホント」かな。だって、最強最凶じゃんあれ。
もし「もしもボックス」と「ソノウソホント」が実現したら、世の中の全ての常識や価値観がひっくり返ってしまうわけで、社会どころか生物や物質の起源までご破算になりかねない、ほんと計り知れないインパクトがあるとおもうんだが、さて?

新村則人さんの個展「海と山と新村則人」にお邪魔してきました。

先週はギンザ・グラフィック・ギャラリーで開催中の新村則人さんの個展「海と山と新村則人」に遊びに行かせてもらいました。

新村デザイン事務所サイトとブログ
新村則人さんのTwitterアカウント

新村さんは、ご存知の方が多いかとは思いますが、WWFや無印良品などの広告を手掛けるアートディレクターで、国内・国際的な賞をいくつも受賞されているとても凄い方。
なぜ僕と接点が?というと、広島在住の写真家である父と新村さんが御友人であるというのがきっかけで、今回の個展のタイミングが重なりようやくご挨拶できる機会を。

[新村さんの作品の前で記念撮影]
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会場では贅沢なことに、新村さん直々に会場の作品ひとつひとつの解説をもらいながら拝覧。以下、ご紹介と自分なりに解釈した印象など。

入り口である1階では「」がテーマで、新村さんの故郷である山口県の浮島の周辺を題材にした、全方位の大きな写真に囲まれるインパクト大の作品がお出迎え。中心には今では現地でもあまり目にすることが無くなったという『木製の小舟』に液晶ディスプレイを使った、水産の危機に対するメッセージが込められた映像作品を展示。
新村さんの作品には一貫して「自然」という共通のメッセージがあるとのことですが、その中でもこの作品は「故郷」に対する思いとか、故郷で目にしてきた風景のリアルな転写というものを感じました。

場所変わって地下フロアでは「」がテーマ。手がけられてきたWWFや無印良品キャンプ場、新潟県のお仕事での作品が展示。
共通テーマの「自然」に加えて、自然破壊に対するストレートなメッセージや、広告としてのオーディエンスを「おっ?」「なんぞ?」と興味付ける工夫などが伝わる作品で囲まれていました。

自分はアートやデザインを生み出すことは苦手なのですが、観ることは大好き。 観てると(自分勝手な解釈も含まれますが)「このテーマからなんでこういう結果(作品)に繋がったんや?」と頭の中で妄想がうごめき、更には自分自身が思っていた価値観がガツンと否定されることもあり、頭ん中がとても刺激される感じ。

今回、作品ひとつひとつが伝えようとしているメッセージを推測しながら、そばでご本人の解説を聞いて答え合わせをしたり、制作時の苦労などの裏話を聞いたり、自分なりの印象をぶつけさせてもらいながらの時間は、とても贅沢な時間となりました。
今度は無理をお願いして、いろいろ教えてもらおうかと…(内緒)

新村則人さんの個展は来週(〜10月28日)まで開催中です、ご興味がある方はぜひ!!

新村さんについて:引用
新村則人先生(しんむらのりと)プロフィール 1960年山口県大島郡浮島生まれ 大阪デザイナー学院卒業 1984年、(株)松永真デザイン事務所入社 主に「MORE」「LEE」のエディトリアルを担当する 1955年、(株)新村デザイン事務所設立 主な仕事に資生堂の化粧品「エリクシール」「IINUID」や香水「ZEN」の広告デザイン、 「無印良品キャンプ場」の広告キャンペーンのアートディレクションなど

「海と山と新村則人」:引用
新村氏は、瀬戸内海に浮かぶ周囲8kmほどの小さな島、浮島(うかしま)の漁師の家に生まれ、多感な幼年期や少年期を“大自然”の真只中で過ごしました。 その実体験を生かして、ご自分の実家「新村水産」のヴィジュアル制作や、「山口県漁連」の新聞広告をはじめ、「無印良品キャンプ場」のポスター等、 “自然”をテーマにした仕事で注目を集めてきました。新村さんの作品に込められた自然へのメッセージは、少年期に体感したことがそのまま心の底から滲み出 ています。

開催期間 2010年10月05日(火)〜2010年10月28日(木)
休館日 日曜・祝祭日
時間 11:00〜19:00(土曜日は18:00まで)
入場料 無料
会場 ギンザ・グラフィック・ギャラリー(ggg)
東京都中央区銀座7-7-2 DNP銀座ビル
会場ホームページ http://www.dnp.co.jp/gallery/ggg/
問い合わせ電話番号 03-3571-5206
関連ホームページ http://www.dnp.co.jp/gallery/ggg/schedule/g291.html


自分が考える「プロフェッショナル論」

おっと、突然のテーマですが。

後輩がmixiで、真面目な質問として「プロって何?」的なことを書いていたので、自分が思うなりを書いてみた。 若い頃から現在までに、いろんな人とお仕事させていただいて学んだことや、失敗してご迷惑をおかけした経験や、人と議論を交わして自分なりに構築してきた考え。

普段思っていても、文章にすることはなかったので頭ん中を整理できた記念にブログにメモしておきます。

*あくまで自分の途上の意見です。(2010年10月13日現在)

後輩が書いてた質問はこんなの↓

プロフェッショナルとは?

本当のプロって一体なんなんでしょ?

どぅいぅ人なんでしょ?

どぅいぅ心なんでしょ?

どぅ思います?

まあ、そこで答えた自分の意見としては、

「相手の期待に対し最大限の努力を必ず保証する」のがプロで、それ以外はすべてアマ(=非プロ)

つまり、プロの本質は相手の期待に必ず応えること。アマ(非プロ)の場合は必ずしもそこは必達ではなくて、試合に負けたとしても「しょうがない、よくがんばったね」で済ませてもらえる、そんなイメージ。
ちょっと補足するものとして次も、

技術の優劣ではない。 その人が提供できる努力(*)によるアウトプットがすなわち、プロとしての報酬価値・価格。

*「努力」って言っちゃってるけど正しくは「能力」と言いたかった

で、更に後輩からの疑問として、

…質問ですが、努力に対して結果はどれくらい求められる…というか、
どのくらい結果を出さなきゃダメなんでしょか?

100%に越したことはないだろうし、もちろんそれを目指した最大限の努力だとは思いますがあせあせ(飛び散る汗)

これに対して自分が答えたのは以下のような意見。

仕事という状況で例えるなら、相手との交渉や相談の時点で相手の要望と温度は探ることができるから、「どのくらいの結果が求められるのか」ってことは、自分で悩まなくてもいいのでは?

交渉や相談で双方が合致したモノが自分に求められる「相手の期待」の全てであり、ある時はそれは契約書に記載されたりするし、また社内やチーム内のことであれば「出来ます」とコミットメントしたこと、かと。それを「必ずできると保証し遂行する」のがプロフェッショナルという認識。

もちろん、相手の要望が自分の手に負えない場合があるので、自分が出来るかどうかの精度の高い判断は重要。

出来ないのに「期待」させるわけにはいかないので、出来ないことは「出来ない」と正確に言うこともプロとしての大事な能力。

無駄な見栄やプライドがある人には難しいらしい。
だけどよく考えてみると、出来ないことはきちんと辞退することでむしろ「あの人が出来ると約束したことは必ず出来る人だから、安心して相談できる」と自分への評価としてはプラス要素に働くと考えています。

「出来ない」とちゃんと宣言することで、結果、そこで断られることが将来的に自分が相手に迷惑をかけない最善だったりするし、あるいは相手が「じゃあ、出来るところだけでもお願いします」と、「相手の期待」=報酬を下げて調整することでお互いが合致できるかもしれない。

「がんばる」とか「本気」とか「100%」とかベストエフォート的な言葉って、非常に曖昧で、非正確で、その割には相手側にはあまり伝わらなくて、考え始めると際限が無いものなので嫌い。自分に求める結果の線引きが曖昧になり、失敗したときの後付けの言い訳にもなるので、自分としては単なる自己満足だけでしか使わないことにしてます。

あ、でも”ここまで出来ますよ!”と「相手の期待」を多少低めにセットしておいて、実は余裕を幾分か秘密に隠しておいて、結果的にアウトプットではそれ以上 のことも出来た、なんて演出も。

人の満足感は相対的と考えており、期待以上の結果を提供するという意味もあるし、相手を喜ばすという意味もあり。


そんな感じ。


希望格差社会―「負け組」の絶望感が日本を引き裂く

近頃、日本社会ではいろんな問題が起きていて、たまに「社会的地位|所得格差の格差が拡大」したことが原因であるかのような風潮が見られる。けれど、すっごく違和感があった。
彼らが指摘してる格差ってのは結果もしくは過程の事象だと思っていて、もっと根本の原因として国民それぞれの間にあるやる気・希望に格差が発生してることが原因なんじゃないかと。

それがふと気になってTwitterで『所得・社会的地位の格差が問題視されてるけど、本当なら「やる気・希望の格差」の方が問題なんじゃまいか?』と書き込んだところ、藤野さん@fu4からのリプライで『山田さんの名作「希望格差社会」というのがありましたね。』というまさにこれ!な情報を頂いたので、さっそく入手して読んでみたのでその読書メモ。(あ、区の図書館で借りました。無料だし、ネットで予約して最早次の日に手に入るので便利だし…)

Amazon_co_jp:_希望格差社会―「負け組」の絶望感が日本を引き裂く__ちくま文庫___山田_昌弘__本

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まず全体的な感想は、「読み終わるころには希望がなくなってるぞ、これ…」という感じ。
本書の内容は、現代の不安定な日本社会におけるリスクと特徴について筆者の解説があり、それから日本社会の二極化・格差についてその特徴などが提起、比較のために戦後の高度成長期社会における安定していた頃の社会の様子を描いておきながら、その後は章ごとにズトン・ズトン・ズドンと現代の職業・家庭・教育のそれぞれの不安定さ加減について重た〜〜〜く述べておいて、最後には現代社会における「希望の喪失、若者の意識、リスクからの逃走」などというトドメとも言える重たいことを述べることで読者は「もうやめて!読者のライフはもうゼロよ!」とグッタリ…

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まぁ、読んでて思ったことは、たしかに国民の間で生活や地位だけに限らず色んな機会が均等ではなく激しい片寄りも存在してる。けれど、

  • そもそもまず全てが均等である社会なんて有り得ない、格差は存在するもの。
  • すごくネガティブなことばかり取り上げてるけど、他方では希望が持てることだってあるでしょ?

という思いは読んでいる最中も常に頭の片隅には在って、前者は、「格差だ!格差だ!」と騒ぎ立ててるけどそれって元々は格差があって当たり前の事じゃないの?というか、これまでの日本の社会が気持ち悪いくらいに均等であっただけで、実は世界的に見れば人それぞれに格差が発生して当然のこと。(⇒これまでと違って均等じゃないので、大変なことだと勘違いしている。)

で、後者については、これは本書に期待してた内容と異なっていた部分なんだけど、本書は過去の日本社会を振り返り、「今の日本は”当時と比べて”こんなにも格差が拡がったんだよ!」という主張ばかり、という後味

でも、当時と比べて違いがあるのは時代が移り変わってきているだけであって、には無かったけど今存在している新しい”希望”ってのが絶対にあるはずだし、みんなはむしろ古いものは順次捨てて新しい希望に乗り移るように生きていければ、そんなにネガティブなことばかりじゃないのになあ、と。(⇒なんでいつまでも古い「昔は良かった」的なことを求めるのだろう、と)

つまり自分が思いTweetした『「やる気・希望の格差」の方が問題なんじゃまいか?』という真意は言い換えると、「希望を探そうとする”やる気”、見つかると信じて”行動する”希望があれば、いつの時代だってハッピーになれるし、人をハッピーにできるはず!という想いを持った人が少なくなってきている」という事が問題なんじゃなかろうかという意味だと気付き。

と、根っからネアカで超が付くほどポジティブな性格の自分が言ってると「やれやれ…」とあきれられそうなのでこのへんで…

以下、気になったポイントの抜粋メモ。

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P.37 ”リスクとは何か”

リスクとはもともと”勇気を持って試みる”という意味であり、必ずしも悪い意味ではなく、”危険”とは異なる。「不確実性」は”将来予測がたたない状況”を表す。一方リスクは生起する危険の内容についてある程度計算が可能という意味を含んでいる。

p.68〜 ”3−2 格差の時代的変遷”
社会が近代化される以前、生活水準の格差は原則として、生まれた親の職業によって決まった。(中略)近代社会は、〜建前上は、生活水準の高さは、実力の反映であるという解釈ができあがる。
近代社会の格差の正当性は、この点、つまり、生活の格差は実力の差であるから「納得するべきである」というイデオロギーに依存している。

p.147 ”フリーターの不良債権化”
このままだと、昇進のない単純労働に従事し、仕事能力がつかないまま、いつか、夢は実現すると夢想して、年齢だけを重ねる元若者が大量に出現する。
夢に向かって努力すればその夢は必ず実現するというのは「ウソ」である。全ての人が希望通りの職に就けることは有り得ない。
「一生」大学教員になれない博士課程修了者は年に一万人ずつ。
「一生」上場企業のホワイトカラーや技術職につけない大学卒業者は多分、年に数万人ずつ。
「一生」中小企業の正社員にさえなれない高校卒業生は、年10万人ずつ増えていく。
これに呼応して、正社員と結婚するつもりだが、一生結婚できないフリーター女性は、年20万人以上発生していくのである。
フリーターは、バブル期に企業の作った不良債権に似ている。いつか、土地や株が上がれば大丈夫と期待し、対策を打たずに、そのまま不良債権がふくらみ破綻に陥る。それが今の若者にも起こりつつあるのだ。

p.198 ”各種学校、専門学校-「漏れ」を前提とした新たなパイプライン”
近年出現している新しいタイプの各種学校、専門学校は、既存のパイプライン(*学校教育システムのことをイメージ)の代わりや補完にはならない。なぜなら、多くの新しい職種では、初めから漏れ(*脱落、その後フリーター化する若者)を前提としたパイプラインしか作れていないからである。
(中略)例えば、アニメ等の興隆で声優という職業が認知され、「声優になりたい」という人が増えている。そして声優学校が何校もできている。しかし、現実に声優として仕事ができる人は一握りである。 また、フライトアテンダント受験のための専門学校はあるが、そこで実際、航空会社に採用される人は、非常勤も含めて一割にも満たないという。
初めから職業の需要以上の太さのパイプを作り、生徒を集め、大多数を漏れさせていくというシステムになっているのである。
(中略)このような各種学校は、パイプラインから漏れた高卒者、大卒者の一時的避難場所にしかならない。多くの専門学校、各種学校卒業生は、再度、パイプから「漏れる」体験を強いられることになる。

p.212 ”代替案の不在”
例えば、「起業」という選択肢があり、学生時代、または会社をやめて起業して成功した例が報道され、推奨される。しかし、だいたい起業というものは、人脈や資金力、そして当然のことながら、その分野における優れた能力がなければうまく行かない。
若いうちに独立・起業して成功した人は、企業に残っていたとしても出世昇進できる。
(中略)能力はあるのに、性格的にパイプ(学校・会社)が肌に合わなくて、自主的にパイプラインから外れた人間なら、起業で成功することも期待できる。
しかし、そうではなくパイプから漏れてしまった人が起業で成功する見通しは大変低い。

p.231 ”努力が報われない機会の増大”
現在の日本社会は「努力が報われない機会」が増大する社会となってしまった。
(中略)つまり「いままで努力してやったことが無駄になるかもしれない」という状況は、平均的能力をもつもののやる気をなくさせるのだ。
(中略)いま、日本で生じつつある社会変化は、能力のあるものの『やる気』を引き出すかもしれないが、能力がそこそこのものの『やる気』を削ぐという側面がある。

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