そろそろやりたいことやろうかな

「パトラッシュ。僕、もう疲れたよ。」

なーんて、随分ヨワキになってしまってる僕ですが(*)、療養してる間に色々考える時間が手に入り、ちょっとだけ決めたことがあります。
(*)これまでずっとカラダに良くない働き方をしてきたせいかこの季節の変わり目に胃腸の調子を崩してしまい、ほんとヘトヘトになってしもうた…

「そろそろ、やりたいことをやろうよ、やのしん」

なんで俺は体調崩れるまで無理しちゃってたんだろう?って考えたところ、その答えが「人の期待に応えようとしすぎてた」ってことなんだろうな、って。 人の期待に応えようとすることは間違っていないんだよ、今年のおみくじも言ってただろう、「願事:他人を助けよ、人の助けにて叶います。」って。 人生には色々と波があって、たぶん今年はそういう年だったのさ。って、 去年の今頃も同じようなこと言ってら。

自分の人生に約10年周期で起きている「生きることを考えさせられるイベント」(*)にまた直面してしまい、死ぬまでに遣り残したことがあればなんだろうな?って。 出てきたひとつの結果が「おまえ、自分がやりたいと思ったことがあっても、自分の期待に応えていないじゃん」ということ。
(*)6歳時に交通事故、16歳時に自転車でのトレーニング中に事故、そして30歳時に内蔵の異変(まぁ、別段大した結果じゃなかったけど)

「日本人の資産運用文化の底上げがしたい!」 と思い、当時勤めていた会社を辞めてまで独立したにも関わらず、まだゴールもしていなければギブアップもしていないよな?って気が付いた。 当初、まずは「投資ちゃんねる」という投資家同士のSNSを立ち上げようと勢いだけでサービスインしたものの、やはり浅はかな考えだったことに気付き一度は断念したけれども、それがきっかけで気付いたことも多かったんだよね。 今思えば反省点としては、「資産運用」をサポートしたいのに当時流行の株式投資しかドメインとして考え付いていなかったことや、自分自身のファイナンシャルリテラシーの低さとか。

その後、いったん投資ちゃんねるは閉鎖して、自分自身の見識を広げようと方向を切り替えた結果、新しい人々との出会いがあったり、更にそのみなさんとの仕事を通じて投資運用の考え方を広げることができたり、影でこっそりとファイナンシャルプランナーの勉強をしていたり(今だからカミングアウトするけれど^^;)。 「失敗だ」と自覚したからこそ自分の欠点に気付くことができて、それを埋めようとしてきたこれまでの1年ちょっとという時間は結果として結構有益だったなと思えています。

自分の事業を手がける他に会社としては他社様の事業やビジネスのお手伝いをさせてもらって収入を得ているのですが、ほとんど営業活動をしていないにも関わらずみなさんの紹介などのおかげで新規開拓もでき、おかげさまで会社(そのまえは個人事業主)の収益もそこそこになってきております。このご縁はこれからも維持しつつ、そろそろ自分をお客様として支援してあげてもいいんじゃないかと思い始めた次第です。

運がよいのか悪いのか(国民にとっては良くは無いのですが)、僕が「日本人の資産運用文化の底上げがしたい!」 と思ったころから、あまり日本国民の資産運用に対するリテラシーって変化が無いと思っています。 年金記録問題が発生してからギャーギャー騒ぎ始めたり、加熱しすぎた相場に熱中しサブプライムローンショックで傷を負ってみたり。
まだ個人の金融資産がゆうちょ銀行にタンマリと残っていることも自分としては疑問が多かったり、「頭金0でマンションの大家になった」なんて良い話を聞いてよくリスクシミュレーションもせずに不動産投資に手を出したりといったことも個人的には疑問です。

世の中は玉石混合で、例えば経済に関する書籍は数多くあり 中には怪しいものもあれば、逆に本当に良いものも存在しています。 正しい主張を提唱して頑張っている人も多いのですが、そういったことを、(誤解を恐れず敢えて言います)ファイナンス側のプロの人間(敢えて「あちら」側と呼ぼう)がたとえどんな良質な情報を提供しても、我々一般の庶民(そう、「こちら」側)にはその多くを理解できないのです。

難しいことだから一部の人が儲かる、自分たちが儲けるために一般にはわざと解りにくいようにみせて失敗させる、なんていう悪人もプロの中には居るかもしれませんが、「難しいことを誰でもわかりやす伝えることがプロの仕事」と頑張っている正しい「あちら」側の人達も確実にいます。
でもね、残念ながらそれでも理解できるのはそれなりのリテラシーの高い庶民たちだけで(それを庶民は学歴のある、などと表現することが多い)、 多くの庶民は理解しにくいというのが現実だと思う。(*) 僕が本当にやりたかったこととは、その庶民レベルでの理解の底上げの部分だってことに気付いた。 意欲のある庶民を引っ張っていってもらうのは「あちら」側の人たちに任せて、僕は庶民レベルでの興味喚起や「ちょっと考えてみようよ」というきっかけ作りをしたいと思います。(ちょー難しいのは充分承知してるけど…)

(*)例えば、どんなにコンピュータシステムに詳しい人間がシステムの難しいことを噛み砕いて説明しても、ある程度リテラシーの高い庶民にしか理解できないように。

っていっても俺ができることは限られるので、自分の得意分野を絡めつつ地道に頑張っていこうと思ったこの10月でした。

<ちょっとネタバラシ>

「資産運用」っていうと敷居が高く感じるけど、そんな大それたことをやる前にまずは … なんて書いちゃってたのだけど、「ちょっと公開には問題があるんじゃない?」ということなので消しました。興味ある方いれば個人的にご連絡ください?

「広島ブログ」オフ会、行きたかった?!(残念

くそ?、悔しいなあ。ほんと行きたかったな、11/3の広島ブログ・オフ会。

さっそく広経新聞のサイトで記事が載ってて、読んでみて更に後悔。

市内で「広島ブログ」オフ会?多彩なプロフの65人が参加

 「広島ブログ」は、広島にまつわるブログが集まったポータルサイト。広島在住者をはじめ、 広島に関するさまざまなブログが登録されており、「ランキング」や「友達紹介リスト」 で各ブログを紹介することで1つのコミュニティーを形成している。

広ブロ主催者のひとり、江島さんには以前に「行きたいんだけどなぁ…」とは言っていたものの、やはり時間が許さずに断念。こんな人数が広島で集まるなんて、結構なポテンシャルを感じるなあ、広島をどげんかして盛り上げる手伝いをしたいものです。

次回は必ず、イク!!

[速報!]CNETに掲載されました>わくラボが

先日取材していただいたCNETの件、どうやら記事が公開されたみたいです。とうとう、メジャーなメディアにデビューしました(笑)

なんだかわくわくオープンラボが凄い団体のように見えてくる^^;

本名で掲載されてもよかったのですが、「やのしん」の名前で載っけてもらいました。「やのしん氏」と書かれるとなんだか恥ずかしい…

CNET:刺激的な人と協働できる–クラウドソーシングという新しい開発のあり方

その時の様子↓

わくラボ CNETの取材を受けるの絵

保田さんもさっそくエントリーしてた、

記事の中では明確には触れていませんが、このインタビューのときに集まった際にメンバーの口から出たのは、会社内だと無駄な仕事がたくさんあるが、こういう形式だととにかく効率的に作業を進めようとするので、無駄がないということでした。

たしかに。会社としてこういう事業に取り組む場合には、いろんな人にネゴする必要があったりとか、利害関係上で圧力や障害があったりと進行上なにかとメンドクサイことが多かったのだけど、わくラボでは「作りたいものを作る」という目標にたいして余計なぜい肉が不要なので、より効率的に進められるような気がする。

問題は、もしこういったサービスを事業化・企業化するときだろうなあ。でもまあ、それはそんときに考えればいーか。

ブログの更新頻度=健康のバロメータらしい件について

気付いた。まさに現代風のバロメータかもしれないが。

普段ひんぱんにブログやmixi日記を更新している人が、
しばらく新しいエントリーが投稿されなくなったりすると、たぶんその人は体調を崩しているの法則。

たぶんね、たぶん。
仕事とかで忙しい、なんて時もあるだろうけれど、忙しい時でもちょこっとヒトコト程度書くなんてことはできるんですよね。
でも、健康じゃない状態ってそんなこと言ってられなくって、マジブログなんて書いてる余裕はないと思った。つまり、
更新が止まっちゃったときは俺は病気でぶっ倒れてそれどころじゃないor死んじゃった、と思ってください。

なぁんて、少し余裕が出てきたのでぶっこいてみた。
処理能力が下がってしまった間に嫌という程のメールが山積みになってしまったので、まずはそれから片さなければ!

健康が一番です!  虫歯が3本見つかっちゃいましたが…

自分たちがこんな日本にしちゃったのよ

ちょーちょーちょーいい感じ保田さんのブログエントリーより、

 

誰がこんな日本にしちゃったの?
  という思いが私の中では非常に強い。そしてそんな日本をなんと抱えたいと思って日々活動してきたわけですが、   最近は虚無感に駆られることが多い。

 自分自身も同じく、今の日本という国に対してやや諦めに近い感覚を持っています。
まわりにも「別に日本という国にこだわらなくてもいいや」といった考え方の人が多いと感じるし、自分も最終的にはその方法もありかなと感じているひとりです。
おそらくですが、日本国内・国外ということのギャップが縮小し、また国民の中に能力的に高度な人が増えてきたことで、多種多様なモノの考え方が受け入れられる社会になったからだというのが、個人的な意見です。それについては社会の高度化ということなので否定はしないのですが。

 ただ、多種多様なモノの考え方、と書いたのですが、それは各自がそれぞれバラバラの思考を持っているだけで、国民に共通する軸が全く無いのだと思います。
 多種多様であっても、「国」という(または「世界」「地球」それぞれで)共通する軸があるべきなのだと思っており、「自分達が生まれ、育って生活してきたこの国の力を底上げする」という本質的な軸だけは、全国民が共通して持っておくべきじゃないかと。 極論を言えば、その他の部分は人それぞれであっても良いと思うんですけどね。
 軸のない多種多様性は結果として「自分さえ良ければいい」という結果を生みます、多種多様であっても「人を思いやる」という軸をみんなが共通で持てば、最近のような異常な事件や低俗な不正などは起き難いのではないでしょうか。

 しかし、「実質的に破綻している国の現状の責任」を追求したところで誰か特定の人達ってわけではないんですよね。結局、国民ひとりひとりのマインドが集まった結果、「国」という組織ができるのであって、「おまえが悪い」という犯人探しを始めたってそれは本質的ではないと思っています。自分自身を問いただしても、そんなに良く出来た人間だとは思えないし、人には言えないような悪いことも思いついてしまう人間だし(それを実行するかどうかは別として)、結局、自分みたいな「チョイ悪」 (?)な人間が集団を形成した結果が今の日本という組織なのだと思います。

今の日本の現状は我々の世代がそのように導いたわけではないけれど、自分を生んでくれた親やその更に親が作り上げていった結果の良い面・悪い面のうち後者(もちろん、良い面もあると思います)が目に余る惨状として今の我々にバトンタッチされているのだと考えると、次の二択、

 

諦めるのか、頑張るのか、二択でしかない。

の答えとしては、自分達の世代で「頑張る」のが正解だと思う。

 いろいろ理屈ばかり言っていても仕方がなくて、「んじゃあ、具体的に何をするのよ?」ってことだけが大切だと思うのですが、、、
大きなことを言えば色々とやるべき行動は言えるのですが、結局それは絵に描いた餅。

 今、自分達にとって必要なことは「お隣、二軒先の住人同士のことを知る、仲良くなること」だと思います。
なんじゃそりゃ、と思われるかもしれませんが、隣近所の人のことを思いやることができずに、国という全体を思いやることはできないのではないでしょうか。何もプライバシーに関わることまで深く知りなさい、ということではなくて、「隣近所の人たちが快適に暮らせるような行動をとる」、できることなら「仲良く」なってお互いで助け合える暮らし、それこそが社会なんじゃないかと思います。
 そのマインドが集まった結果が「国」という組織を形成するはず、そうなれば今のような破綻した国になる前にみんなで歯止めをかけることができるんじゃないかなと思います。

さぁ、今日もがんばって仕事して1192つくろう!