「ちょーちょーちょーいい感じ」保田さんのブログエントリーより、
誰がこんな日本にしちゃったの?
という思いが私の中では非常に強い。そしてそんな日本をなんと抱えたいと思って日々活動してきたわけですが、 最近は虚無感に駆られることが多い。
自分自身も同じく、今の日本という国に対してやや諦めに近い感覚を持っています。
まわりにも「別に日本という国にこだわらなくてもいいや」といった考え方の人が多いと感じるし、自分も最終的にはその方法もありかなと感じているひとりです。
おそらくですが、日本国内・国外ということのギャップが縮小し、また国民の中に能力的に高度な人が増えてきたことで、多種多様なモノの考え方が受け入れられる社会になったからだというのが、個人的な意見です。それについては社会の高度化ということなので否定はしないのですが。
ただ、多種多様なモノの考え方、と書いたのですが、それは各自がそれぞれバラバラの思考を持っているだけで、国民に共通する軸が全く無いのだと思います。
多種多様であっても、「国」という(または「世界」「地球」それぞれで)共通する軸があるべきなのだと思っており、「自分達が生まれ、育って生活してきたこの国の力を底上げする」という本質的な軸だけは、全国民が共通して持っておくべきじゃないかと。 極論を言えば、その他の部分は人それぞれであっても良いと思うんですけどね。
軸のない多種多様性は結果として「自分さえ良ければいい」という結果を生みます、多種多様であっても「人を思いやる」という軸をみんなが共通で持てば、最近のような異常な事件や低俗な不正などは起き難いのではないでしょうか。
しかし、「実質的に破綻している国の現状の責任」を追求したところで誰か特定の人達ってわけではないんですよね。結局、国民ひとりひとりのマインドが集まった結果、「国」という組織ができるのであって、「おまえが悪い」という犯人探しを始めたってそれは本質的ではないと思っています。自分自身を問いただしても、そんなに良く出来た人間だとは思えないし、人には言えないような悪いことも思いついてしまう人間だし(それを実行するかどうかは別として)、結局、自分みたいな「チョイ悪」 (?)な人間が集団を形成した結果が今の日本という組織なのだと思います。
今の日本の現状は我々の世代がそのように導いたわけではないけれど、自分を生んでくれた親やその更に親が作り上げていった結果の良い面・悪い面のうち後者(もちろん、良い面もあると思います)が目に余る惨状として今の我々にバトンタッチされているのだと考えると、次の二択、
諦めるのか、頑張るのか、二択でしかない。
の答えとしては、自分達の世代で「頑張る」のが正解だと思う。
いろいろ理屈ばかり言っていても仕方がなくて、「んじゃあ、具体的に何をするのよ?」ってことだけが大切だと思うのですが、、、
大きなことを言えば色々とやるべき行動は言えるのですが、結局それは絵に描いた餅。
今、自分達にとって必要なことは「お隣、二軒先の住人同士のことを知る、仲良くなること」だと思います。
なんじゃそりゃ、と思われるかもしれませんが、隣近所の人のことを思いやることができずに、国という全体を思いやることはできないのではないでしょうか。何もプライバシーに関わることまで深く知りなさい、ということではなくて、「隣近所の人たちが快適に暮らせるような行動をとる」、できることなら「仲良く」なってお互いで助け合える暮らし、それこそが社会なんじゃないかと思います。
そのマインドが集まった結果が「国」という組織を形成するはず、そうなれば今のような破綻した国になる前にみんなで歯止めをかけることができるんじゃないかなと思います。
さぁ、今日もがんばって仕事して1192つくろう!