日記

使われる人、使う人、創る人

数日前に耳にした言葉、「うわっ」と思う感覚を久々に感じた次の瞬間、すっかり忘却。 が、ついさっき不意に思い出してしまったのでブログに書き留める。
最近に限らず、ITというワードが世に出てくる頃からよく言われてきてることなんだけど、要約すると(一応、誰が言ったのかは特定できないよう話をデフォルメするが)

今の時代、オープンな技術が主流だから開発や制作にかけるコストは抑えられる。技術者も余るほどいるし、起業するには最適な時代だよね。 」

というお話。

こういう類の話を聞くと「おいおい、ビジネスのセンスねえなあ」と思うわけです。

開発コストは抑えられるのか

まず第一に「オープンな技術が主流だから(云々)コストが抑えられる」というお話。

これ確かに今の主流は特定のメーカーに依らない、みんなで作り上げてきたオープン技術であることに間違いはない。一番有名なものはLinuxなど、これ以外にもいっぱいある、というか、いま自分の仕事で扱うことのほとんど9割以上はオープン技術か、あるいはそのオープン技術を自分なりに弄ったもの。

だけど、ここでいう「コストが抑えられる」のは技術を調達・手に入れるまでのプロセスであり、あるいは開発制作者においては”書籍のサンプルコードをなぞったレベルのもの”ができる人材コストのことであって、今や”誰でも出来る・手に入る”モノを扱うレベルのお話で、自分なりの表現では「技術に使われる人」。 職域の範囲でいうと「コーダー」と呼ばれるお仕事の範囲。(その領域の職人さんもいるので蔑称する気はない、あくまで職域の理解として。)

でも実際にやったことがある人は分かると思うが、それをビジネスに活かすためにはそんな毛が生えたレベルでは到底ムリで、上記に対して「技術を縦横無尽に扱える人」が絶対に必要。自分なりの表現では「技術を使う人」であり、本来の「エンジニアリング」と呼ばれるお仕事の範囲。

企業のスタートアップは相当重要な時期であり、相当潤沢な資金がある・時間をかけて育てていく余力がある場合を除いては「技術に使われる人」を雇ってしまうことは即死を意味する。なるべく優秀な「技術を使える人」を囲い込む必要があり、そう考えると当然、「技術を使える人」の市場価値はどんどんを騰がる一方で青天井と言えるのですよ。結局、お題に対しての正しい回答は「業してなにかを作り上げ成功させるためのコストは昔に比べて騰がっている」ということに。

最近のニュースからピックアップすると↓
入社エンジニアに高額一時金支給がブーム DeNA、ドワンゴ──人材争奪戦が熾烈に
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20100820-00000042-zdn_n-inet

サイバーエージェントの藤田晋社長は今月上旬の講演で「エンジニアの採用費はいくらかかってもいいから採用したいということになっている」(中略)ネット企業の将来を左右するのは優秀なエンジニアだというのが共通の認識だ。【ITmedia】

技術者は余るほどいるのか

結論からいうと、「技術に使われる人」であれば余ってるだろうなあ、「技術を使う人」は余ってないだろうなあ、だって手放したくないもん。という感じ。

ここで一旦、それぞれの人種を定義してみつつ、自分が思う(成りたい)理想も併せて定義すると、

使われる人」= Aという手段(この場合は技術)でできる目的を実現しようとする人。

使う人」= 目的を実現するために、A、Bなどの手段から選択あるいは組み合わせによって実行する人

であり、更にこれに加えて理想としては、

創る人」= 目的を実現するために、Cという新しい手段を生み出して「あったりまえやん」とばかりに最適な解で一直線にゴールする人

先にも述べたように、「使われる人」というのは既に世にある手段、特に自分の知りうるほんの一部分の技術を選択肢の全てとして目的を達成しようとする人であり、いまはインターネット上からいつでもどこでも情報が引き出せ、書店に行けば山のように技術解説書が売られているわけで、そんなイコールコンディションのなか多くの人が得られる範囲のモノで勝負しようったって、この世界は甘くないですよ、市場価値は下がる一方ですよ、そりゃ(人材コスト対効果の理由で)市場に余りますよ、ということ。

だけれども、「使う人」となるとそもそも行動の順序が違うわけで、極論「目的を達成するためにはどんな方法でも選んじゃる」という人(が自分としては好き、という意味も含む)。
そのためには、目的を達成できるための手段を可能な限りかき集め、仮に今はまだ自分が習得できていなくてもそこから習得する意志があり|あるいは出来る人を引っ張って来れる、 それら選択肢を並べて方法を選択できる|あるいは複数を組み合わせてなんとしても実現する、というスタンスの人。

これが意外と少ないんですよ、自戒も含めて言うけど。

で、最後に書いた「創る人」というのは自分の思う理想の姿というか、最強スーパーサイヤ人レベルのマインドの人。
あらゆる知識や技術、コネクションを利用して「使う人」は、なんとか頑張って目的を達成するのですが、「創る人」になるとそもそもの発想が「既存のものじゃあかんやろ、こうやれば一番いいやん」とちゃっちゃっと方法論(技術)を生み出してしまう人。

稀にいるんですよね、こういうジャンルの方が。言うなれば、車が発達してきた時代に「すごく遠くの|困難な地点への移動にかかる時間をなるべく早くしたい」とエンジンを強力にしたりタイヤを改良したりしてみんなが争ってるときに、「んなもん、飛行機つかって空から一気に行けばいいやん」という発想と行動ができる人が。

この「使われる」「使う」「創る」という種別ってのは技術業界に限らず、なんにでも当てはまる普遍的なことだと思います。例えば、

アーティスト(アート)ならば
 「使われる人」 = 道具A(楽器、筆、カメラetc)という手段で出来ることを表現しようとする人。
 「使う人」 =「これがやりたい」を実現するために、道具(楽器、筆、カメラetc) から選択あるいは組み合わせによって表現する人
 「創る人」 =「これがやりたい」を実現するために、そもそも道具や表現方法自体を生み出しちゃう人

ビジネスならば
  「使われる人」 = 自分の能力やチャネルで出来ることを実現しようとする人。
 「使う人」 =「これがやりたい」を実現するために、能力(自分の、あるいは他人で出来る人の)やチャネル から選択あるいは組み合わせによって実現する人
 「創る人」 =「これがやりたい」を実現するために、そもそも概念やチャネル自体を作り需給を生み出しちゃう人

と、まあその他の分野にも当てはめると、意外と成り立つ方程式かと。

でもやはり、どの分野に当てはめても一番価値が高くて、「余るほどいる」レベルから程遠いのは「創る人」であることは間違いなくて。
死ぬまでにそんな人になれるのかなあ(遠い目)

[作ってみた]キャスター付きおむつケースを作ってみた。

我が家の赤ん坊のおむつケースにはA4サイズの書類ケースを使用していました。
それはそれで、サイズもちょうどいいし良かったですが、奥さんいわくちょっと使い勝手を直したいとのこと。具体的には、

  • A4サイズはOK、だけどちょっと浅い
  • ケースを床の上に置いていると取りにくい、キャスターが欲しい

そんな感じで、何かもっと良いのないかと探すよりは、自分で作っちゃったほうが早いだろうということで、さくっと材料あつめて作ってみました。
なんだか夏休みの工作を思い出す。(その頃からレベルが変わってないとも言う…)

完成形はこんな感じ。↓
IMG_0546

【部品あつめ】

そんなにお金かけても勿体無いので、(とはいえ既製品を買うよりはずいぶんと安上がりだけど)、材料は100円ショップやホームセンターで仕入れることに。

  1. A4サイズのプラケース、高さ15cm程度 …おむつetcがたっぷり入るものを。
  2. キャスター ×4個 …小さめサイズ、全方向タイプ。
  3. ビス、ワッシャー、ナット(適量) …キャスターのネジ穴口径にあわせて。

今回、これまでのおむつケースの改善としてケースを深めに。おむつを縦に詰めて入れたり、各種グッズを入れられる程度の大きさの物を。
それと、キャスターは いろんな所から素早く引っ張れるように、全方向にくるくる回るタイプを選択。

【制作】

作り方は単純。床面にキャスターの配置に合わせてネジ穴を空けてネジ、ワッシャー、ナットで固定する、のみ。

油性ペンでネジ穴の目印をつける。
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【完成】

そんな苦労もなく、完成。こんな感じ。
IMG_0543

IMG_0542

せっかくなので、制作過程を映像に残して編集してみました。
(撮影機材はすべてCANONのEOS KISS X4+標準レンズ、編集はMac OSXのiMovie。再生は720pのHD画質選択を推奨!)

ものづくりって、楽しいのう。

twitbackrを使ってブログの更新をTwitter上で通知

Twitterを眺めてて、@fu4さんの書き込みで知ったサービスtwitbackr。なんだろと思って調べてみるとtwitterにブログ更新を自動投稿してくれるサービスでした。
ちょうどうちのブログたちの更新通知をどうしようかと考えていたところだったので、さっそく利用することに。

Twitter _ やのしん-Yanoshin_ をっ、Twitbackr良さそう http___tw ... twitterにブログ更新を自動投稿 - twitbackr

過去にブログ更新を通知してくれるサービスとしては「Ping一括配信サービス Pingoo!」とかを使ってたり、その他にも類似のTwitter上に通知してくれるサービスはちらほらあったような。

このtwitbackrを使い始めてみての印象としては、

  • 設定が比較的シンプル、提示されるURLをPING設定することだけに集中して説明してくれている
  • 使い始めるまでがシンプル、Twitter APIのOAuth認証を使ってるので既にTwitterを使っている人にとってはクリックだけで利用登録が完了するという簡単さ

ということを感じました。

さっそく、ブログエントリーを更新してみると、こんなツイートが。

Twitter _ やのしん-Yanoshin_ #twitbackr はじめました! http___ ...

たぶんこのエントリーの更新通知もtwitbackrからツィートされてるはず?

*ただし、たぶん通知して欲しくない更新(例えば、誤字修正とかテストエントリーとか)も通知しちゃうと思うので、それがイヤだという人は気をつけてくださいな。

チャイルドシートをいただきました!(嬉

Twitterでダメもとで「だれか要らなくなったチャイルドシートください」とつぶやいたところ、なんと譲っていただけることに。 息子もそろそろお出かけさせたいなあと思い、車に載せるときに使うチャイルドシート(ベビーシート)をどうしようか悩んでいたところ、とてもありがたいものを頂きました。 IMG_0480
宅急便が届いて、さっそくけんたろうを載せてみた。嫌がってる(笑)
チャイルドシートをくださった友人に感謝です!大事に使います!

息子のためにがんばらねばと思うこころ

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子供が生まれる前からよく、「お父さんは大変だよ、養っていかないといけない責任があるから。がんばって働かないとね」風な励ましをもらっています。

たしかにそれは正しいと思うし、自分自身、今でもそれは肝に銘じています。

でもね、それ以上に”がんばらねば”と実感する理由がはっきりしたんです。

?食べさせなければ・養わなければいけない

→育てなければいけない

? 将来の困難に負けない、心の寄り処を遺してあげないといけない。

→育っていけるようにしなければいけない

先に述べたのは前者?の方で、それはつまり子供が自立できるまで育てなければいけないという責任。

自分自身もそのように思っていました、息子が生まれるほんの1秒前までは。

これはこれで正しいと認めざるを得ない責任で、頭の中では”父親になること”を 理屈としてそう理解してた。

けれど、生まれた直後からガラっと変化したんですよ。今でも不思議なんだけど、いざ目の前で生まれたての息子を見た瞬間に全く別物に

それまで感じてた責任を大きく超える「やべえ、がんばんなきゃ」っていう責任を。

自分自身その責任感が何なのかはっきりと説明することが出来なかったのだけれど、近頃すこし具体的にできたかも。それが上の後者?のような感覚。

前者?の方は言い換えるならば、大げさな表現かもしれないが「子供が成年し自立するまで面倒をみなければいけない責任」であり、子供の自立以降のスコープに関してはむしろ自身の責任とも読み取れる、18ないし20歳までの短期的な視点としか思えなかったのです。

しかし、考えてみると人生は20歳前後の自立以降のほうが本番で、長いはず。

「親はなくとも子は育つ」と言われてるし、生きていくこと自体は心配することはないのかもしれない。

だけれども、親の願いとしては、生まれてきた以上は子供には可能性の限り自身の人生を存分に謳歌してもらいたい

きっと子供も大人になって自分の足で立って生きる時がくれば、嬉しい・楽しいこともあれば、悩み・挫折するような困難にも遭遇すると思う。

そんな苦しい時にも心が折れてしまわないように、 心の支えになる何か一生物を遺してあげることこそが、親が頑張らなければいけないことなんじゃないかと感じたわけです。

それがいったい何なのかはこれから探さなければいけないんだけどね。

例えばそれは、苦しい時でも「愛する家族がいること」 で「よぉし、あの人たちに喜んでもらえるよう、がんばる!」と実感してくれることかもしれない。そのためには、親として”愛情”とは何かを肌で理解できる環境を創ってあげなければいけない。

例えばそれは、 子供が将来仕事や人生で悩んだ時に「でも、父ちゃんだって負けずに乗り越えて来たんだから、僕だって頑張れるはず!」という自信への寄り処となる、何かの実績を父親として遺してやることかもしれない。(何故か父ちゃん死んだ設定に…?)

そう考えると、自分のこの先の人生が短く感じるというか、時間足りんのかよという焦りも。

父親としてまっとうに生きている様を見せなければいけないし、同姓の男親としては自分の残りの人生をかけて何か成し遂げて遺してやらなければいけない。

なんかまだ上手く表現できていないけれど、そんな感じの責任感を分娩室で生まれた瞬間の子供を見た一瞬で感じ取ったのです。

ここで自分が述べていることは、決して「物質的・金銭的な何か」を遺してやることではなくて、もっと大切な「非物質的ななにか」を遺すという責任。お金や遺産なんて、そんなものは安っぽい。

後者?の方が長期的な視点であり子供にとって人生死ぬまでの財産であり、後者?は実はそれ自体で前者?も満たす十分条件にもなるのです。

またそれと同時に、子供も大人になり親になるときに、僕と感じたものと同じでなくてもいいので、自分なりに解釈した責任を見つけてほしいな、と。